枇杷が熟れる頃、父の思い出

枇杷

枇杷の実の熟れるころ思い出すことがある。それは私が小学校低学年のころのことである。

父は、村にあった病院の職員として職を得ていた。病院は家から歩いても30分ぐらいのところにあったが、通勤は自転車であった。近所に同僚もいて、帰りには自転車を並べて帰ってくることもあった。

家の近くには大きな枇杷の木が植わっていて、梅雨のころにはたくさんの大きな実をつけるのであった。枇杷の木は通路のそばにあってほど良い位置にあった。

その日は、父が同僚の方と一緒に帰ってきたときで、ちょうど枇杷の木の下にさしかかったころ、私と弟がおそらく声を掛けたのであろう。「父ちゃん、枇杷とってきて!」と・・・。

父とその同僚の方はすぐに自転車を降りて枇杷の木に登り、枇杷をとり始めたのである。枇杷は実を1個1個とるのは手間がかかるので、三つ四つ実をつけた枝を手折って籠に入れる。そういうことをするのである。そのときは籠に入れたかどうかは定かではないが、たくさん取れた記憶があるので、恐らく籠を用意したのであろう。

そのとき、父は枇杷の木の上の方に登って枝を折っていた。その光景は鮮明に記憶に残っている。35、6歳くらいだったろうと思うが、てきぱきとして枇杷をとっていた若々しい父が誇らしく見えたものだった。その父は7年前に亡くなった。

そのときの枇杷の味は記憶によみがえってこないが、父が子の願いに気持ち良く応えてくれた、その父との思い出が、この枇杷の季節に、甘酸っぱい思い出とともに、よみがえってくるのである。