11月初旬に喪中の葉書が届いた。訃報をいただけば葬儀に参列したところであるが、訃報を知らず、新聞のお悔やみ欄でも見かけなかったため、失礼していたのである。
おそらく家族葬を営まれたのであろうことが推察されたのであるが、このことは、3年前妻を亡くした時のことを思い出させた。
妻の葬儀は遺言通り家族葬としたため、一般の方々の参列の機会をなくした。また、連絡もしなかったため、喪中の連絡をするときに躊躇したのである。
喪中の連絡をすべきかどうか、しないわけにはいかないのであるが、どういう内容にするか、さんざん迷った。結局連絡はすべきであるし、内容も突飛なことは書けないと通常通りの文面で出すことになったのである。そうしたら、あちこちからお悔やみの連絡があり、あとから香典もたくさんいただいたのである。
この度の喪中の葉書からは、私の場合と同じ苦悩を抱かれたのではないかという雰囲気が感じられた。妻のとき香典をいただいたところでもあり、早速香典を準備し書留で送付した。
そして、3年前の自分のことを思い返した。あの時はあれでよかったのだろうか、あれが、私流のやり方だったのだが、果たして受け入れられたのだろうかと考えてみた。
しかし、やってしまったことは仕方がない。済んだことはどうしようもないのである。まあ、色々考えることはあるが、これが処世というものではないか、これがお付き合いというものではないかと、しみじみと思い返したところである。
令和5年11月15日