叔父が死んだという突然の訃報が葉書でもたらされた。簡潔な文面には、葬儀は家族葬として既に執り行ったと書いてある。遠方であるが故に事前に連絡があったとしても、葬儀に駆け付けるには厳しかったかも知れないが、葬儀はすでに終わったということに、やや脱力感を覚えたのである。
それにしても家族葬なのか。葬儀を家族だけで行い、告別式を別に行う場合もあるようであるが、この場合は家族葬だけのようであった。
時を同じくして、友人のご家族が亡くなられたことを新聞で知った。早速連絡を取ると、昨夜通夜をして今日が葬儀だという。葬儀は家族だけで行うから・・・という、暗に葬儀参列は遠慮してほしいというような感触を受けたのである。
家族葬にするということは、家族だけで葬儀を行うという強い意思が感じられる。一般の弔問を遮断するとまではいかないまでも、そういう雰囲気が家族葬という文字には読み取れるのである。
そこで私は、葬儀式には参列しないが、弔意を表しに行こうと決めた。11時からの葬儀に10時におじゃましてお悔やみを申し上げ、葬儀の始まる前に退出したのであった。
私はそれでよかったと思っている。友人とそのご家族には十分弔意を表すことができたし、家族だけで行われる葬儀には遠慮をすることができたのであるから・・・。
最近は葬儀のやり方に多様性が出てきたように感じられる。家族葬というものもその一つではないか。義理でやってくる他人に神経を遣うことなく、家族だけでしんみりと温かく行いたい、そういう儀式なのである。核家族が主流となった現代ならではの儀式であることを強く実感する次第である。