風樹の嘆

春

可愛い孫娘が10歳を迎えるというのでお祝い会を開いた。場所は近くの居酒屋である。子供が主役であるにもかかわらず、居酒屋とはなんたることか、孫を肴に酒を飲むという、大人の趣向が会場を選定したのである。

ともかく、孫たちとその親、叔母、祖父母の7人で楽しくとり行うはずだったのである。お祝いの品物を手渡し、飲み物で乾杯して始まった。談論風発、いろいろなことが話題に上り、盛り上がったかなと思っていたところ、突然、当の主人公が泣きだした。

孫

料理が口に合わなかったのではないか、大人たちの話題にしていたことが気に障ったのではないか、我々はそう思った。だが、どうしたのと聞いてもただ首を横に振るばかり、何が原因なのかそのときは分らず、大人たちは大いに気を揉んだのである。

その場は母親の隣に席を移すことで納まったのであるが、お祝い会の主人公が涙を流すことになったことに、我々は居心地の悪さをかかえたまま時間が過ぎ、やむなく散会したのであった。

孫たちはそれぞれ自宅に帰った。従ってその後の様子は分らなかったが、夜も更けた頃、母親には何か理由を明かしていたのではなかろうかと、電話して聞いてみた。そうしたら、意外な言葉が返ってきたのである。

あのとき10歳の孫は、食事や会話などが原因で涙を流したのではなかった。ましてや兄弟間の軋轢でもなかった。それは、驚いたことに、おじいちゃんとおばあちゃんが死んでいなくなったら・・・、そのことを思って涙を流したというのである。私らがいなくなったときのことに想いを巡らして泣いたというのである。

空

それを聞いたとき、私の心は落ち着かず、何かが身体から抜け出していくような不思議な感覚に襲われた。風樹の嘆、これは親孝行をしたいときにはもう親はいない、という子の嘆きを表したものであるが、この場合は、その逆、親の側から感ずる嘆きに似た不思議な感覚を覚えたのである。

気の優しい孫娘であり、また感受性の強い女の子でもあろう。10歳で、もうこのような感情を持つようになったかと思うと、たまらなく可愛さを覚え、また、ここまで成長したのかという感慨も湧きあがってきたのである。と同時にジジババが孫に死を想起させるほどの老いの一瞥を見せたということに、一抹のもの悲しさを覚えたのである。