季節

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令和6年の吉兆

西暦2024年、和暦令和6年が滑りだした。その途端、能登半島付近で地震が発生した。震度7程度と大きい。元旦の午後4時10分ごろである。正月番組を流していたテレビ各局は、すべて地震報道に切り替わり、それが夜9時まで続いたのである。
仕事

今年の漢字は「税」

年末になると一年の総仕上げというか総まくりといったものがいろいろ出てくる。重大ニュースであったり、今年の漢字であったり、そういうものが発表されるのである。今年の漢字は「税」とされた。「税」は楽しい字ではない、暗いイメージを持つ。
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早い喪中の葉書

11月初旬に喪中の葉書が届いた。訃報をいただけば葬儀に参列したところであるが、訃報を知らず、新聞のお悔やみ欄でも見かけなかったため、失礼していたのである。おそらく家族葬を営まれたのであろうことが推察されたのであるが、このことは、3年前妻を亡くした時のことを思い出させた。
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散歩の秋

秋が深まってきた。ひところの暑さは何だったんだろうと思うくらい気温が下がってきた。そして、朝夕はめっきり涼しくなった。10月中旬である。むしろ薄寒さを感じる。したがって、夏の間早朝だった散歩は夕方に行っている。
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暑さもあと20日

連日暑さが厳しい。熱中症に気をつけよとのテレビの声、かまびすしい。今日は8月21日である。今日の熊本の天気は晴れ、最低が26度、最高が35度の予報であった。7月の暑さが始まって以来9月10日まで、数えて70日余り、暑さは70日耐えればよいと、夏に入る前私は覚悟した。
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夏の散歩は朝に限る

散歩用の運動靴を買った。今履いているのがやや小さくて指が窮屈であるのと、底が擦り切れてきたから買い換えたのである。一年ぐらい履いていたので、散歩で履きつぶしたといってよいだろう。今週から新しい靴を履いているが、履き心地はよい。
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早朝の散歩

今の季節、梅雨の時期ともなると夕方でも蒸し暑い。秋頃から夕方散歩することにしていたのであるが、この時期からは再び朝に変えたのである。 朝は涼しい。ただ、早朝に起きるのが辛いのである。四時半に目覚ましをかけ、飛び起きると、着替えをし、顔を洗って、歩数計、認識票、時計、鍵を持って運動靴を履いて4時45分には家を出て歩きはじめるのである。
仕事

年が明けて忙しくなったが・・・

年が明けて仕事が降ってきた。そんな感じの今日この頃である。年末調整関連事務、償却資産税申告事務である。提出期限が1月末のため、このところ作業に追われている。これらの作業を見ているとパソコン、プリンター、コピー機などの事務機器がフル稼働している。
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令和4年を振り返り新年に期待する

令和4年も師走の半ばにさしかかり、年末年始を迎えるころとなった。税理士事務所においては通常の業務に年末調整等の作業が加わる繁忙期なのである。このころになると一年を振り返ってみたくなる。今年は安倍元首相が暗殺された。同じころエリザベス英女王が崩御された。
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お盆に想うこと

お盆の時期である。盆には霊が帰って来るという。仏壇には提灯を灯したりして霊の到着を待つ。迎火を焚いて迎え、送り火を焚いて送ることになっている。そういう中で墓所にはお参りに出かけるのである。霊は自宅に帰っているところ墓参りとはどういうことだろう。
仕事

5月連休を前に思うこと

桜が終わった今の時期は過ごし易い。寒くもなく暑くもなくカラッとした天候だ。これからもう少しすると温度と湿度が上がり蒸し暑くなる。この時期、仕事の方は所得税の確定申告事務が終わり少し余裕が出てくる。しかし、この後3月決算法人の決算申告事務が待っているので、嵐の前の静けさのような感覚である。
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令和4年の年頭所感

令和も4年を迎えた。早いものだ。どおりで早く歳をとるものだと実感する。初春の令月にして気淑く風和ぎ・・・から定まった年号であるが、その2年目にしてコロナに毒され、令和の清冽な印象からはほど遠いものとなっているのは悲しいことである。自分のことについても、昨年は体調不良が続いた。
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令和3年の年のはじめに

早いもので新元号の令和も3年目を迎えることとなった。令和の出典は「初春の令月にして気淑(よ)く風和らぎ 梅は鏡前(きょうぜん)の紛を披(ひら)き 蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす」万葉集の梅花の宴で詠まれた32首の歌の序文である。
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我が家の令和2年を振り返る

令和2年も暮れようとしている。この時期になると、今年を振り返り総括してみたい気持ちにかられる。どういう一年だったか思いをめぐらしてみよう。今年は何といっても、3月22日に妻が逝去したことが一番大きな出来事だろう。
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令和2年の幕あけを祝す

元号が令和になって初めての年明けとなった。令和の元号の新鮮さが次第に脳裡に溶け込み、沈潜化していくのを感じるこの頃である。昨年は、頭で「令和」と思っているのに、口について出るのは「平成」だったりして、しばしば言い直すこともあって、正直戸惑うこともあった。
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枇杷が熟れる頃、父の思い出

枇杷の実の熟れるころ思い出すことがある。それは私が小学校低学年のころのことである。父は、村にあった病院の職員として職を得ていた。病院は家から歩いても30分ぐらいのところにあったが、通勤は自転車であった。近所に同僚もいて、帰りには自転車を並べて帰ってくることもあった。