歳の変わり目には、干支のことが話題になる。子、丑、寅、卯・・・、新しい年は戌年、鳥から犬へとバトンタッチである。
酉年になるときは、酉の字にはどういう意味合いがあるのか、そうするとどういう歳になるのか、などを調べて悦に入っていたものである。たしか酉年は盛り上がる歳で良い歳になると理解していたが、現実には良いこともあり、悪いこともありのごく普通の歳であった。
考えてみれば(考えなくても)分かることであるが、干支の字によってその歳の在り様が決まるとすれば苦労はない。現実社会がそうはいかないのは当然であって、複雑な社会事象の働きによって、世相というものが紡ぎだされてくるのである。
しかし、歳の初めに、今年はどういう歳になるのであろうかと想いを巡らすのは自然なことで、誰しも想うものではないか。その想いを巡らすためのよりどころの一つが干支の字義なのである。凡人にとっては、他に手掛かりがないのであるから、それに頼るしかないと言っても過言ではない。
また、干支の字の意味合いについては、往々にして説得力のある書き方になっているので、そうなるのかも知れないと大いに期待し、あるいは観念するのである。
新しい歳がいかなるものになるのか…、経済動向は…、株価は…など識者の見立てが、歳の初めにいろいろな媒体で発信されるが、これらは所詮予言であって、当たるも八卦、当たらぬも八卦、結局そのような類であり発信者に責任はない。とすれば、干支の字義による見立ても似たようなものではないか。学者や識者でない凡人にとって、干支の字義を唯一の手掛りとするのも致し方のないことであろう。
戌年はいかなる歳になるのか。字の意味合いを今回は敢えて調べてはいないが、恐らく専門家の見立ては既に存在していて、それが今後徐々に人口に膾炙してゆくことだろう。
それはそれとして、まあ、結局、この戌年も良い歳になるのだろうと高をくくるのも、一つの処世術ではないかと思う。