今日の昼飯は日替り弁当だ。毎日、宅配屋さんに注文するのだが、今日は決めるのが早かった。一緒に注文する者が、「私は日替り」といったので、それに乗っかったからだ・・・。
「日替り」という言葉には不思議なニュアンスがある。毎日変わるから、その日その日で異なったものになること、そして、何になるかわからないという御神籤を引いているような不思議な感覚があることである。
日替りにするという意思決定には、信頼してお任せするという気持ちと、専門家がやっていることだから間違いはないだろうという安心感がかかわっている。
街の定食屋さんに行くと日替り定食があったりする。特に決めたものがないとそこへ目がいく。今日の日替りは何ですかと、一応聞いたりするが、聞くということで別のものにするということではない。結局、「じゃ、日替り定食」ということになるのである。弁当の場合は、どういうものになるか分からないのが大きなポイントである
日替りを期待して注文したものがハズレだったということもあるにはある。そのときは、籤が外れた感覚であるというか勝負に負けた感じである。ま、しかたがないとあきらめるしかない。それが日替りを注文したものの定めであろう。