躊躇した喪中の葉書

喪中葉書

 令和2年3月22日、病気療養中の妻は逝去した。薬石効なくといいたいところであるが、14年間の人工透析を中止した覚悟の死であった。透析を中止するに至ったのは、他の臓器の不調もありそれらからの苦痛から逃れたいと願う真剣な思いがあったのである。

 諸般の状況に鑑みて主治医さんとも十分相談し、本人はもとより私らもそれを容認したうえで、死を覚悟して退院し自宅で穏やかな最期を迎えることとしたのである。厳かな決断であった。

 自宅で意識のあるうちに弟や長男も遠方から駆け付けてくれ、孫たちとも話をすることができた。そういうふうに色々と話をした中で、本人は自分の葬儀はしなくてよいと主張していたのであったが、残される者としてはそうもいかず、本人の意思を重んじ外部に知らせないで、家族だけの葬儀とすることとしたのであった。

 そういう経過があった中で11月となり、喪中の葉書を出す時期となった。訃報の連絡をしていない方々に喪中の葉書を出すことに、若干のためらいがあったのではあるが、やむをえず世間の慣行に従うこととし出すこととした。

 葉書がついた頃合いから案の定各方面から反応が来た。曰く、知らなかった、曰く、知らせがなかった・・・etcと連絡があり、香典、線香等が送られてきたのである。中には事務所まで夫婦でおいでになった方もあり恐縮した次第である。その都度、上記の事情をお話しし、お礼とお詫びを申し上げたのであるが、情の熱いそして義理堅い方々に涙したのである。

 これでは家族葬にしたのがどうだったのか、自問自答した次第であるが、結果として、喪中の葉書が訃報のお知らせになったことだけは明らかである。

 情の熱い方々に心からお礼を申し上げながらも、それでも故人の遺志に沿ったことだけは心の奥底に感じ納得しているのである。