ケイタイの存在価値

携帯電話

 ケイタイはスマホを使用している。昔はガラケー派であった。ガラケーの機能が自分には丁度合っていたのである。ガラケーから変わったのはいつ頃だったろうか。

 たしか家族の誰かがスマホにするときに家族割が有利だとかなんとか、業者のセールストークに乗せられてスマホにしたような気がする。スマホにしてからもう10年は経っていると思われるがもっと前だったかもしれない。

 スマホの機能はたくさんあるが、ほとんど使いきれていない。主たる機能の電話だけ使っている状況である。宝の持ち腐れとはこのことである。

 メールはGメールだが受信するのみ、発信はできないのである。その他ライン、メッセージも設定はされているが、これも受信するのみで積極的に発信することはないのである。というか、情けないができないのである。必要な場合は電話するのであるからだらしない。

 ガラケーのときはかなり頻繁にメールをやり取りしていたのであるが、状況が変わったのである。

 ケイタイは夜寝るときスイッチを切って充電する。朝起きたとき充電を止めスイッチをいれる。ここからスマホの一日が始まる。それから常に身近に置いて、それこそケイタイして使用しているのである。

 車に乗る時はハンズフリーで通話できるよう設定しているので、運転時もバッグに入れて携帯している。運転中は発信せず専ら受信するだけに使用しているが、便利なものである。

 もうケイタイのない生活は考えられない。以前スマホを忘れて遠くに仕事に出かけた事があったが、その日一日は世の中から隔絶された感じがしたものだ。

 今の時代は、世の中につながっているということが、一つの安心をもたらすようである。そういう意味でのケイタイの存在価値を見直してみることも、大事なことであるように思われる。

令和5年4月22日