「寒い日が続きますが」と書き出した寒中見舞いの葉書が遠方から届いた。昨年妻が逝去したことから、喪中のお知らせをしていたので、年賀状の代わりに寒中見舞いがちょうど寒のころに来たのである。
文面からすると、香典返しが届いたことのお知らせの意味も兼ねているようで、コロナ禍の中での寒さを憂い、禍に負けないようにとの心温まるものであった。妻の高校時代の友人からである。
また今日は、「ご服喪中のことと存じ年始のご挨拶は控えさせていただきましたが、いかがお過ごしでしょうか。奥様がご逝去されお寂しい毎日をお過ごしのこととお察しいたします。」と高校の同級生からも寒中見舞いが届いた。雪が降り積もった山里の絵柄に文字が印刷されている。これも遠方からのものである。
厳しい寒さが続いている毎日ではあるが、これらの便りには温かい情を感じるのである。
妻が亡くなってからようやく10ヵ月が経とうとしているが、心のどこかにはいつも何かけばだったものがあり、そこに意識が引っかかる感じがしているのである。これらのご厚情はそこのところに溶け込んで傷を癒してくれる心地がするのである。
この度の寒中見舞いは、遠方の会ったこともない人だったり、若いときの記憶しかない人だったりで、いわば顔の見えない人からのものである。それ故に情の深さを感じるのである。
これらの葉書は受け手の心に大きな影響を及ぼした。受け手は未だに心の傷を引きずっているのだろうが、その傷は少しずつ快復してゆくはずだ・・・。