新元号に思ったこと

新元号

長らく注目されていた新元号は「令和」に決まった。意味としては「人々が美しく心を寄せあう中で、文化が生まれ育つ」という素晴しいものである。格調高い元号といわざるを得ない。

しかし、ちょっとひっかかるものもあった。それは、「令」という字の字面にすわりの悪さを覚えるのである。そう感じるのは私だけであろうか。

新元号について、私はひそかに思っていたことがある。それは「康」の字を使ったものになるのではないかと。「康」の字には、「無事」、「やすらか」という意味があり、字面も納まりのつくもので、元号にはうってつけではないかと思っていたのである。

ところで、「康」の字を使った元号は過去にあったのか調べてみると、あるある、平安時代に「康保、康平、康和、康治」と四つあり、鎌倉時代に「康元」、南北朝時代の北朝に「康永、康安、康歴、康応」の四つ、室町時代に「康正」と計10個もあるのである。元号制度が始まった「大化」以来「令和」まで248個、そのうち10個もあるのである。ただ、安土桃山以降登場していない。そういうことで、そろそろ出番かなという淡い期待もあったのである。

また、明治・・M、大正・・T、昭和・・S、平成・・H、ときて、次が「K」だと並びも座りもいいではないか。

平成31年4月1日の11時40分過ぎ、官房長官が新元号を発表し、その願いはみごとに砕け散った。

まあ、そんなに気を落とすことはない。たかが元号のことではないか。別の腹の虫はこう云う。たかがではない、この後何十年も続く元号のことだぞ、残念がらないでなんとする。

とはいえ、もう決まったことだ。そもそも俗人が元号にあらぬ期待を持ったことが間違いだ。学者が苦心していくつかを選び、それを有識者が評価し政府が決めたのである。

こういうことは、学者等に任せるほかはない、下々の者にとって元号は天から降ってくるようなものなのだから。