熊本地震から1年、つらい記憶 その2

ひび割れ

自宅の被害のことについては前回書いた。今回は事務所の被害のことについて書くこととする。

事務所は自宅からゆっくり歩いて10分のところにある。鉄骨造3階建で、1階が応接室その他、2階が事務スペース、3階が書庫倉庫である。

この建物は、4月14日の前震では外壁の一部に亀裂が見られた程度で、内部には被害はなかった。それが、本震で1階外壁の一部が崩れ落ち、鉄骨も一部むき出しになった。外壁全体にはひび割れが生じていた。また、1、2階内部壁にも割れが生じ、総じて軽微とは言えないひどい状況となった。

2階は足の踏み場もなく

本震は4月16日土曜日の午前1時25分。暗い中近所のコンビニの駐車場へ避難し、明るくなってから自宅の片付けをし、17日日曜日も余震の続く中、自宅での対応に追われていた。そのため、事務所には全く手がつかない状況だった。18日月曜日は、職員も自宅の状況が大変だろうし、大きな余震でもきて、職員に何かがあってはならないということで休業とした。

事務所内の惨状はひどく、机は動き、ロッカーは倒れ、壁掛け時計は全て落ちて壊れていた。作り付けの戸棚内のファイルはほとんどが飛び出て床を埋め尽くし、足の踏み場もない状況であった。

そんな中、コンピュータシステムは健在で、サーバー、子機ともに倒れもせず無傷であった。机から、落っこちそうなところで踏ん張っていたディスプレイ、よくぞとどまってくれた。そして何よりも大事なデータも無事であった。これには深く安堵したが、一方で、火が出ていたらデータは毀損していたはず、この出来事はデータバックアップの方式について考えさせられるキッカケとなった。

2週間で工事依頼

建物については、修繕して使えるものか、建て替えなければならないものか心底心配したところであるが、建築士の調査で鉄骨には異常がないことが分かり胸を撫でおろした。

それで、地震後2週間目の4月30日に工事を依頼した。5月2日から業者らによる現場確認調査が始まり、5月23日に見積書が提出された。若干のやり取りをし、工事代の調整後、早期着工を依頼した。

6月15日足場架設して工事着工。毎日職人さんが3~4人入るという状態で工事が続き、1か月半後の7月30日足場を撤去して工事が完了したのである。

工事期間中も余震続く

この工事の期間中も余震は続き、工事中や完成後に大きな地震が来て再度壊れるようなことがあれば、早期着工したことが物笑いのタネになってしまう。そうならないよう密かに祈っていた。

事実、断層帯には、まだ割れ残っているところがあり、これが割れるときまた大きな揺れが来るという、まことしやかな噂があったのである。しかし、私はそういうものには惑わされず、もう大きなものは来ないと割り切っていた。それで早く着工したのである。

災い転じて

その後、まわりでは工事業者や資材の不足が現実のものとなって、復旧が大幅に遅れるという状況になってきていた。そういう中で一足先に工事に着手し、地震からわずか3カ月で復旧することができたのは幸運であった。

しかしながら、高級外車の新車が買えるようなものいりとなったのは痛かった。これが本当の災難というものだろう。だが、お蔭で事務所は新築したような新しい姿となり、執務環境はグッと良くなった。職員にも歓迎されているはずだ。このことは大修理をすべき時期に来たという神の思し召しだったのだと、自らを納得させている。