熊本地震から1年、つらい記憶 その1

熊本地震

あの日から1年、記憶が薄れていく中であの時のことを思い出してみようか、そう思い立ち筆を執ることとした。

あの時のことに記憶を遡らせていくと、ある程度はスムースにいくのだが、思い出したくないという気持ちも湧き上がってくる。それは痛みに似た感覚である。それで一時的に筆をおく、少し時間をおいてまた筆を執る。その繰り返しでこの原稿を書いた。

脳に刻まれた苦痛の箇所に電気信号が通るとき、心の痛みが蘇えるのであろう。

活断層があった

平成28年4月中旬にその地震はおきた。14日と1日おいた16日、震度7という揺れが益城町を震源として熊本市周辺に大きな被害をもたらした。震源はその後東西南北に異動し、大分県にも被害が飛火した。

熊本には大きな地震は来ないと私は思っていたし、そう思っていた人は少なくなかったのである。しかし、それは間違いであり、益城町は有名な活断層の上にあったということに気づかされたのである。

前震本震二度の揺れ

この地震の特徴は、後に前震、本震と呼ばれるようになった2回の大きな揺れがあったことである。そして恐ろしいことに1回目の揺れよりも2回目の揺れの方が大きかったことである。

かってはこういうことはなかった。余震は最初の揺れより小さくなるものとばかり思い込んでいたのである。それが1回目を上回る余震が来たのであるから驚いた。1回目の後片づけをして家に帰った人が2回目の地震で死亡したというケースもあったし、1回目の揺れでできた割れ目が、2回目の揺れで更に大きくなったなど、前震の被害を本震が更に大きくするなどの被害の増幅があったのである。

避難は車中泊

震源域ではかなり大きな被害が出たが、我家の構造物は幸いにも軽微の被害で済んだ。とはいっても家の中は全てのものがひっくり返り、上のものは落ち、台所の茶碗、皿は割れてそこらじゅうに散乱した。

この片付けに大変な労力を要した。また、電気、水道が止まったので家の中にいられなくなり、仕方なく情報が得られる乗用車の中に避難した。ひっきりなしに来る余震は車中避難をせざるを得ない大きな要因ともなったのである。

近くにコンビニがあり、そこの男性従業員が、ウチの駐車場にどうぞと案内してくれたので、そこに車を止めて3日ほど車中泊したのである。そういう気遣いをする人が奇特にもいたのである。有難いことであった。

季節は春、寒くもなく暑くもないその季節であったことは幸いであった。