長老が逝ってしまった

チャーリーミント(ノーフォクテリア 雌)のときは大雨だった。2年前の6月10日、葬儀場で読経が済み火葬場に運びこむとき、雨が止み、かすかに晴れ間が見えたのであった。涙の葬儀、あれから2年。今度はチャーリー(ノーフォークテリア 雄)が死んだ。16歳3か月と14日、人間なら84歳の長寿を全うした。最後は眠るように息をひきとったのである。8月25日(金)午前1時30分のことだった。

チャーリー

チャーリーとミントは夫婦だった。1歳年下のミントの性格が強かったこともあって、チャーリーはいつも控えめでおとなしく穏やかに過ごしていた。若いときの写真を見るとその雰囲気が良く表れている。

ミントは晩年2度の手術をしたが、それにしては丈夫だった。しかし、その後腎不全を患って入院した。人間ならば人工透析をうけなければならないもので、打つ手はなかった。もう危ないということで家に連れて帰り、苦しみながら最期を遂げたのである。

チャーリーはお盆前くらいまで元気に歩き回っていたが、盆の終わりに足に力が入らないようになり歩行困難となった。6日間通院し点滴をしたが、回復は難しいとみて自宅での介護となった。寝たきりになり、2~3時間おきに体位変換をしていた。次第に食事が摂れなくなり、水分だけになって、その水分も摂れなくなり、枯れるように逝った。これらの介護は全て娘の渾身の努力に負うもので、お蔭で床擦れすることもなく、老衰での見事な大往生だったのである。

チャーリーとミント

葬儀は翌日11時から、ミントのときと同じところで行った。隣家の小学生の孫3人も参列し、骨を拾ってくれた。可愛い小さな骨壺に入ってしまったのを見ると、新たな悲しみが湧きあがってくるのだった。

チャーリー

チャーリーは5年ほど前に白内障に罹り視力を失っていた。それでも家の中を歩き回り、よく壁をなめた。眼が見えていたときは壁をなめるようなことはしていなかったが、視力を失くしてからは、何かを確認するかのように壁をなめるのだった。

我々はこれを可哀そうに思い、たしなめることはしなかった。壁は荒れるに任せた。チャーリーの死後、修理すれば良いと考えていたのである。

チャーリーが死んだ今、修理のことが頭に浮かぶけれど、まてまてと・・・。そう急ぐことはないぞ。チャーリーの生きた痕跡をもう少し残しておこうとも思うのである。

チャーリーの死は、ミントのときほどの慟哭を我々にもたらさなかったように感じる。こういうと大変薄情なようでチャーリーに申し訳ないのであるが、同じ愛犬なのに、その違いはどこから来るのであろうか。

チャーリー

2年前にミントの死で強烈な別れを経験しているからなのか、息の引きとり方の違いによるものか。いずれにしても、我々のチャーリーへの想いがミントのそれに劣るということはない。

チャーリー

ともあれ、チャーリーは我々の中では一番の長老であった。その長老が菩薩のところへ旅立ってしまったのだ。そこにはミントが待っているはずだ。そこで再び夫婦として仲良く生きて欲しい。そう強く願うのである。