暮らし

季節

令和6年の吉兆

西暦2024年、和暦令和6年が滑りだした。その途端、能登半島付近で地震が発生した。震度7程度と大きい。元旦の午後4時10分ごろである。正月番組を流していたテレビ各局は、すべて地震報道に切り替わり、それが夜9時まで続いたのである。
季節

早い喪中の葉書

11月初旬に喪中の葉書が届いた。訃報をいただけば葬儀に参列したところであるが、訃報を知らず、新聞のお悔やみ欄でも見かけなかったため、失礼していたのである。おそらく家族葬を営まれたのであろうことが推察されたのであるが、このことは、3年前妻を亡くした時のことを思い出させた。
季節

散歩の秋

秋が深まってきた。ひところの暑さは何だったんだろうと思うくらい気温が下がってきた。そして、朝夕はめっきり涼しくなった。10月中旬である。むしろ薄寒さを感じる。したがって、夏の間早朝だった散歩は夕方に行っている。
ペット

犬と雷

地震、雷、火事、親父とはよく言ったものだ。人間生活の中で怖いものを順に並べたもので、なるほどと思わせる。しかしながら、現在、地震はともかく雷と火事は、順番が入れ替わってもよいように思われるのだが、雷の本性が分からなかった時代にできた順位のように思われる。
季節

夏の散歩は朝に限る

散歩用の運動靴を買った。今履いているのがやや小さくて指が窮屈であるのと、底が擦り切れてきたから買い換えたのである。一年ぐらい履いていたので、散歩で履きつぶしたといってよいだろう。今週から新しい靴を履いているが、履き心地はよい。
季節

早朝の散歩

今の季節、梅雨の時期ともなると夕方でも蒸し暑い。秋頃から夕方散歩することにしていたのであるが、この時期からは再び朝に変えたのである。 朝は涼しい。ただ、早朝に起きるのが辛いのである。四時半に目覚ましをかけ、飛び起きると、着替えをし、顔を洗って、歩数計、認識票、時計、鍵を持って運動靴を履いて4時45分には家を出て歩きはじめるのである。
暮らし

雨の休日

阿蘇高森で5月連休後半にイベントがあるというので、前から出かけるのを計画していたが、今日5月6日は朝から雨模様である。明日も雨の予報となっている。雨ではイベントは中止だろうと、今日は出かけるのを控えた。
暮らし

ケイタイの存在価値

ケイタイはスマホを使用している。昔はガラケー派であった。ガラケーの機能が自分には丁度合っていたのである。ガラケーから変わったのはいつ頃だったろうか。たしか家族の誰かがスマホにするときに家族割が有利だとかなんとか、業者のセールストークに乗せられてスマホにしたような気がする。
暮らし

遊びには不向き、新熊本空港

3月23日熊本空港がリニューアルオープンした。平成27年の熊本地震で被災し応急処置で営業をしていたのを本格的なものとし、それに併せて国際線を拡大し施設を充実させたのである。テレビで何回もリニューアルオープンのことを報じていて、飛行機を利用する方だけでなく遊びにくる人にも楽しんでもらいたいということを盛んに言っていたのである。
暮らし

あいさつは隗より始めよ

朝5時に散歩していることは前に書いた。所要時間たったの45分であるが、距離は3キロから4キロぐらいか。短いようで歩く側にとっては長い。歩数計をつけていないので歩数は分からない。広い道路の歩道、ほゞ直線コースの往復なのでひたすら前を向いて歩く。
思想

同好の士

足腰を鍛えるために散歩をするようになった。自宅から事務所までは歩いて7分ほどであるが、車での行き来となっていた。万事車を使うことが多く、歩くのが少なかったのである。そのために足腰が弱っていた。それが判明したのは、郵便物を出すために200メーター位歩いたところ、腰に違和感を覚えたことによる。
仕事

日替り弁当はどうですか

今日の昼飯は日替り弁当だ。毎日、宅配屋さんに注文するのだが、今日は決めるのが早かった。一緒に注文する者が、「私は日替り」といったので、それに乗っかったからだ・・・。「日替り」という言葉には不思議なニュアンスがある。
暮らし

昼食は食べていますか

私は、食事は三食たべるものと思っている。しかし、朝夕二食や朝は食べない人もいるにはいる。私は一食でも抜くと体調に変化があらわれるのだが、体調の維持に支障はないのであろうか。習慣になればよいのかもしれないが・・・。
思想

妻の法要と薄れゆかない記憶

妻の3回忌法要を3月21日春分の日に、葬儀を執り行った斎場で行った。妻は2年前の令和2年3月22日あの世へと旅立った。昨年が1回忌(1周忌)、今年満2年目が3回忌(3周忌)となるとのことである。年忌の数え方の面白いところである。生前は十分なことをしてやれず、葬儀は悔いの残るものとなったが、その想いは今もある。
暮らし

寒い日が続きます、寒中見舞い

「寒い日が続きますが」と書き出した寒中見舞いの葉書が遠方から届いた。昨年妻が逝去したことから、喪中のお知らせをしていたので、年賀状の代わりに寒中見舞いがちょうど寒のころに来たのである。  文面からすると、香典返しが届いたことのお知らせの意味も兼ねているようで、コロナ禍の中での寒さを憂い、禍に負けないようにとの心温まるものであった。
暮らし

躊躇した喪中の葉書

令和2年3月22日、病気療養中の妻は逝去した。薬石効なくといいたいところであるが、14年間の人工透析を中止した覚悟の死であった。透析を中止するに至ったのは、他の臓器の不調もありそれらからの苦痛から逃れたいと願う真剣な思いがあったのである。