妻の法要と薄れゆかない記憶

法要

 妻の3回忌法要を3月21日春分の日に、葬儀を執り行った斎場で行った。


 妻は2年前の令和2年3月22日あの世へと旅立った。昨年が1回忌(1周忌)、今年満2年目が3回忌(3周忌)となるとのことである。年忌の数え方の面白いところである。


 生前は十分なことをしてやれず、葬儀は悔いの残るものとなったが、その想いは今もある。いや、次第に強くなってきているように感じられる。あのときはああすればよかった、こうすればよかった。ああしてはいけなかった。そういう想いがじわじわと込みあげてくるのである。


 毎日仏壇にお線香をあげるが、それが罪滅ぼしのようになっている。そうしないといけないように感じられるのである。それで、ペットの犬、猫にも隣に座るよう声をかけ応援を頼んでいるのであるが、来たり来なかったりで、なかなか思うようにはいかない。ペットには負い目はないのだろう。


 仏壇に故人のにこやかに微笑んでいる写真を飾っているが、微笑んでいる顔がときには怒っているように見えることもあるのである。見る者の精神状態がそうさせているのだろう。


 人間の記憶は次第に薄れゆくものと理解しているが、若い頃の普段は思いつきもしない記憶が突如としてよみがえってくるのをみると、そうでないのかも知れないとも思う。


 しかし、物事は忘れ去られる運命にある。日常の記憶が薄れゆく中にあって、こういうことを思うのは、それなりに年を経たせいであろう。